
玉川(左)と桧木内川(右)の合流点
桧木内川とその本流玉川は、東北道盛岡インターから50分と近く、遠く南東北やお隣岩手からの鮎釣師も多く、米代川、阿仁川と並び北東北の鮎釣りのメッカである。その清流に育った美しい鮎姫たちの味もまた格別である。県内随一の放流量をほこり、さらには天然遡上鮎も多く、その幅広の尾ひれで強烈な引きを堪能させてくれる。
桧木内川は仙北市角館町で玉川に合流し、さらに大曲市で本流の雄物川に合流し、大曲市から約40kmの流程を経て秋田市で日本海に注ぐ。 |
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川沿いの日時計
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桧木内川の堤防をドライブしながら安藤醸造元へ
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安藤醸造元(店内は後日〜)
| 享保の昔から地主として角館に住み、小作米としてはいってくる米の一部を原料として味噌を醸造し、あわせて醤油も造るようになった。当初、醸造技術の取得、伝承には並々ならぬ努力を重ねたものらしく、時には遠く常陸(現在の茨城県)まで出向いて研究し、品種の改良に努めたよだ。 |
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市長の邸宅
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枝垂れ桜の後は真っ赤な椿
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火災の類焼を防ぐためにも置けられた日除け。左、武家居住区・右、町人居住区
城下の縄張として最も注目されるのは、東西の一番狭いところに「火除け」を設けて南北を区分するとともに、それを武家居住区の内町と町人居住区の外町とに区分したことです。
北側に位置する武家町は、深い木立が覆い、一方南の商人町は、町並みがびっしりと埋まって対照をなしており、藩政時代の町割りが380年余りたった今でも、大きく変わらずにそのまま残っている。 |
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観光マップ
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日除け跡に建てられた仙北市役所・角館庁舎
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外町の飲食店
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| 「酒の伏見屋」 淡麗で上品な味わいのあるお酒・大吟醸角館・吟醸青柳家御用・純米酒角館・無調整純米吟醸角館・原酒徳利角館・花なずなの里角館・しぼりたて生酒朔雪、などの名酒がある。 |
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表通りより一筋おくに入ると閑静な裏通り
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松本家
| 佐竹氏家臣・今宮家組下の松本家は、佐竹氏国替えとともに秋田へやってきた。今宮家組下は芦名家家臣団とは異なり、菅沢と呼ばれた現在の田町に居を構えていたが、芦名氏断絶後、佐竹北家の組下となり、石高の少ない下級武士の住居が多かった小人町へ移住した。 |
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| 柴垣で囲まれた松本家は小さな農家風の建物だが、茅葺き屋根は武家屋敷の面影を残している。正面の庇は杉皮葺きの置き石屋根、町屋に多い建築方式である。家屋は幕末期の建築と推測される。尚、イタヤ細工の実演が行われている。 |
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岩橋家
| 岩橋家も会津時代から芦名家の譜代家臣であった。役職は上位。1589年(天正17年)伊達政宗との摺上ヶ原の戦いで負けた後、主君・芦名盛重とともに常陸佐竹氏のもとへと落ち延びた。芦名盛重が秀吉から江戸崎を拝領した後、盛重の寵臣であった左源太といさかいを生じてこれを殺したため、岩崎弥左衛門父子は出奔、磐城の鳥居氏12万石に仕えた。 |
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何所までも続く黒塀
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屋根の苔の上にも落桜が
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新緑と黒塀
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武家そば古泉洞
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稲庭干饂飩
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角館武家屋敷資料館
| 家屋敷通りから少し入った路地にある、河原田家の米蔵を改造した資料館。当時の武具や古文書などのほか、佐竹家の生活用具を展示している。 |
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河原田家
| 会津時代から芦名家譜代の家臣で、河原田縫殿之介の時に芦名義勝とともに角館に下り、芦名氏のもとで150石を拝領して番頭と寺社奉行を兼ねた。150石の内、長男・長右衛門に100石、次男・平右衛門に50石を与えて本家と分家とし、本家は東勝楽丁の東側、分家は表町下丁東側に居を構えた。芦名家断絶の後は佐竹北家に仕えることとなり、本家は75石、分家は26石と石高が大幅に減少されて苦しい時代を過ごした。 |
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河原田家の黒塀
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江戸末期に至ると本家の所在は不明になるが、分家は幕末・明治にかけ学者や県会議員を輩出して資産を増やし、1891年(明治24年)頃に住居を表町下丁から現在地の東勝楽丁へ移した。1900年(明治33年)の大火では、隣家・小田野家まで火がきたが、河原田家は大きな庭があったことも幸いしてかろうじて延焼を免れた。
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今は普通の民家
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