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下関市南部郵便局(旧赤間関郵便電信局)
一見したところ西洋建築風の様相を示すが、そこには西洋の古興に本来備わる装飾は見られず、全体から受ける印象は禁欲的である。直線の組合せのみで成り立つ外観や、可能な限り単純化して構成される装飾からは、当時の古典様式の単なる模倣を起えた明治後期における日本人の西洋美学に対する独自の解釈と創造性を感じさせる。
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| 古典主義から一歩飛躍し、西洋美学を消化し始めた時期、近代建築史の第二世代の作品で、設計者の三橋は逓信省出身、当時の建築ジャーナリズムの論客である。入口上部のペディメントや窓枠には彫刻的な装飾はなく、古典主義での装飾を可能な限り単純化したファサードと言えよう。 |
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| 一時期壁面の目地が消えていたが、昭和58年当初の姿に修復され、同時に内部の模様替えがなされた。施工を手がけた京都の岩崎組は、この後1916年(大正5年)山口県旧庁舎・議会棟の工事を請け負う。 |
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| 南部町郵便局の前には、懐かしい赤い丸型のポストが設置されている。このポストは、下関市南部町で指物師として生計を立て、南部町郵便局の郵便作業用具の制作、改良にも取り組んでいた俵谷高七(1854〜1912)によって明治33年(1901)に考案された。レトロモダンな郵便局を訪ねたら、丸型ポストから旅の便りを出してみてはいかが。 |
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| この郵便局は、下関に現存する最も古い洋風建築物で、現役の郵便局舎としても日本最古でもある。出入口の横にある丸ポストの近くに、俵谷高七のという人物の略歴が紹介された看板があった。 |
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| 下関に居住し、何と彼こそが丸ポストを考案したという。そう思うと、この地がまるで丸ポストの聖地のように思えてくる。 |
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| 俵谷高七はこの他にも、色々なものを発明していて、1888年(明治21年)に日本初の自動販売機であるたばこの自販機を発明し、郵便関連では、切手と葉書の販売とポストが一体になった「自働郵便切手葉書売下機」も発明し、現存する最古の自販機として、遁信総合博物館が所蔵している。 |
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| 俵谷高七(1854〜1912)によって明治33年(1901)に考案された。レトロモダンな郵便ポストと自動郵便切手葉書売下機。 |
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山口県下関市の亀山八幡宮には、この地が床屋誕生の地であることを記念した「床屋発祥の地」記念碑。
采女亮が下関で髪結いの仕事をはじめたのが床屋の始まりとされている。なお、采女亮が開いた店には床の間が設えられ、そこには亀山天皇を祀る祭壇と藤原家の掛け軸があったことから、人々は「床の間のある店」→「床場」→「床屋」と呼ぶようになったと言われている。
采女亮は建武2年(1335)7月17日に没しましたが、昭和初期の頃まで、全国の理容・美容業者は敬髪と始祖の冥福を祈るため、毎月17日を定休日としていた。 |
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1枚1枚を丁寧に天日干した「ふぐ鰭」は蝶の羽のように綺麗いだ。
ご存知ひれ酒用のふぐのひれですが、とくに上質のものだけを厳選した。ていねいに手洗いした後、自然乾燥の天日干しにこだわり生臭さのない、透明な美しい姿に仕上げた絶品。お酒をぐんとおいしくしてくれる。
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| とらふぐ料理専門・ふく処「さかい」の店先に干された「ふく鰭」。流石に美味しそうなトラふくのヒレだ。 |
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| 若き詩人中の巨星’と西條八十に絶賛を受けながらも26歳で夭折した童謡詩人金子みすゞ 。没後その作品は散逸し、幻の天才作家として語り継がれていた。しかし、死後半世紀を経て遺稿集が発掘され、全集や選集が次々と出版される。関連書籍を含めた発行部数は百七十万部を突破。また、詩作の広がりと共にその人物にも注目が集まるようになる。優れた作品を残しながらも若くして自ら死を選んだ理由は...温かく優しい詩作の裏に秘められた真実とは...。 |
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| 死後七十余年を経た今年、その生涯が舞台、TVドラマ、そして本作『みすゞ』として映画化されることとなった。まさに熱い‘みすゞ’ブームの中、メガホンをとったのは『地雷を踏んだらサヨウナラ』の五十嵐
匠監督。その生涯を端麗な映像美でフィルムに焼き付けた。撮影は全編山口県でのオールロケ。丹念なロケハンによって見つけられた路地や古い建物の佇まいはみすゞが生きた時代の空気を見事なまでに甦らせるている。 |
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唐戸地区近代建築案内図

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