下 関 散 歩

しものせき ぶらり さんぽ


長門一宮 住吉神社
ながといちのみや すみよしじんじゃ


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正面大鳥居
 住吉の大神は,神代の昔、伊邪那岐命が黄泉国(死の世界)から帰って穢を清められた時出現された神である。



 仲哀天皇の9年(200年)神功皇后さまが三韓征討のときに再び御出なさいまして、「吾が和魂は玉身の寿命を守り、荒魂は軍船を導かん」との御教示により大神を守神として進軍され、その神助により交戦することなく戦勝いたした。



 その神恩に感謝し、神功皇后さまは、この地に祠を建てて、住吉大神の荒魂をおまつりされたのが住吉神社の起こりであります。爾来、長門の国一の宮と仰がれ,明治四年社格が制定されては官幣中社に列せられた。



 荒魂・和魂とは、古代、神霊は荒魂と和魂という二つの霊魂により成り立つと考えられてきた。荒魂は、人間生活促進のため,勇猛果敢に活動する御霊をいう。和魂は、温和で徳を備え、平和をもたらす御霊をいう。


灯 籠
「御由緒」
 住吉大神は神代の昔、伊弉諾尊が、筑紫の日向の小戸の橘のAWAGI原で禊除をされ、黄泉国の穢れをお清めになった時、出現された神であります。


狛 犬
 仲哀天皇の九年、神功皇后さまが新羅国を征討されるため、自ら神主となって斎宮に入り、天神地祇に戦勝をご祈願になった時、再びあらわれて、「吾和魂は玉身に服いて寿命を守り、荒魂は先鋒となりて師船を導かん」とお教えになりました。



 皇后さまはその神託のまにまに進軍し、ご神助のもと、 刃に血ぬらさずして新羅をご征討、続いて高麗、百済の両国をも降伏させて凱旋されました。



 凱旋ののち、「吾荒魂を穴戸の山田邑(現在地)に祀れ」との御神誨を仰ぎ、神恩奉謝のため、この地に祠を立てて、住吉三神の荒魂をお祀りになり、穴戸直の祖践立を神主として奉仕させられました。これが住吉神社の起こりである。



 下って醍醐天皇の延喜の御代、式内社として名神大社に列し、続いて長門国一の宮と仰がれ明治の御代に及び、同4年に国幣中社に列格、同44年官幣中社にご昇格になられた



 戦後は制度が改まり、神社本庁所属の別表神社として、そのご神威はいよいよ高く、ご神徳はますます赫々で、お祓の神、産業興降、水陸交通の神、開運長寿の神、また文道風月の神として霊験いちじるしく、上下一般の広く深い崇敬をおうけになっております。


寶物館
「祭事」 
 祭は12月15日である。その前の12月8日夕刻から15日の朝までは「御斎祭(おいみさい)」として、境内に注連縄を張り巡らし、一般の人の参拝をできないようにし、神職も境内の外へ出ないという厳重な物忌みが行われる。特種祭事の和布刈(めかり)神事は神功皇后の事跡に因むもので、旧正月の未明、壇の浦の海中からワカメを刈って神前に供える非公開の祭である。


手水所と桜門
海遠く月をも西にあふぎつつ 筒の男の神の昔をぞ思ふ  (藤原季種)


桜門内より参道を見る。
うき雲のおひ風まちて天の原 神代に照らせ日のひかりみむ  (今川貞世)


楼門左隋神


楼門右隋神
 やはらげる光もらすなしらなみの 檍原にいでし月影   (今川貞世 )
以上の信仰は神代より上代中世を通じて、現在に至るまで、絶えることなく、強く生き続けている。


拝 殿
 拝殿(重文)は天文八年(1539)に毛利元就が寄進したもの。桁行三間、梁間一間の切妻造で、屋根は本殿同様檜皮葺き。


拝殿正面の「荒魂」扁額
「旧社格等」 官幣中社 現別表神社 長門国一の宮 式内社 長門國豊浦郡 住吉坐荒御魂神社3座 並名神大。



          「御祭神」
          第一殿 住吉大神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)荒塊 
          第二殿 応神天皇(八幡大神)
          第三殿 武内宿祢命(高良明神)
          第四殿 神功皇后(息長帯比売神)
          第五殿 建御名方命(諏訪明神)  



 本殿(国宝)大内弘世寄進応安3年(1370)建立 九間社流造 正面五ヶ所千鳥破風附 檜皮葺


本 殿
 本殿(国宝)は応安3年(1370)大内弘世の再建で、室町初期の代表的な建築です。九間社流れ造りといって、五社殿を合の間で連絡し、社殿上の正面屋根(檜皮葺)に千鳥破風をのせ、春日造りと流れ造りを組み合わせた特徴のある建物。


手入れの行き届いた松
「社殿」
 本殿は応安3年に大内弘世により造営されたもので、国宝に指定されている。5つの一間社を合の間とともに一列に連ねた九間社流造で、中央の第三殿の前に拝殿がある。拝殿は毛利元就の寄進したものであり、現在は重要文化財に指定されている。


御田植祭
 5月の第3日曜日には、御田植祭が斎行されます。このお祭りは神功皇后が住吉大神に毎日お米をお供えするために、田圃を作り、苗を植え、御田植祭が行われるようになりました。今から千数百年前のことです。爾来、連綿と受け継がれ、昭和28年より「下関市農業祭」として執り行われている。

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