角館武家屋敷散歩

石黒家
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2008年8月25日作成

表町通りよりの石黒家の門塀
 幕末期になると多くの武士が窮乏して没落したが、石黒家は表町下丁に移ってから住居お預かりとして他家も含めて所持するようになり、屋敷を拡大している。


正 門
 幕末期に学者・勤王思想家として活躍した石黒隼人介は、角館が戊辰戦争の激戦地になったとき、尊皇攘夷論を展開して多くの若者に影響を与えた。


玄 関
 漢学者として毅堂と号した彼の戊辰戦争戦死者を悼む長詩は、常光院境内の石碑に刻まれている。角館で最初の種痘を行った高橋痘庵は彼の弟である。



 石黒家の建物は1853年(嘉永6年)に蓮沼七左衛門から買い受けたもの。土蔵と母屋の間は大正期に増築されたものだが、母屋は藩政期の建築。



 薬医門は棟木に「文化六年(1809年)」の年号が記されている。門扉上下に八双金具が、中央部には丸い乳金具が3つ打ち付けられ、武家門の重厚さを感じさせる。


石黒家の概要



座敷の欄間には亀の絵が描かれていて、客をもてなす心遣いが見られる。



 昼間の太陽の光や夜の蝋燭の光で欄間の亀が壁にうつる。夜、人が通ると陰がゆれて防犯の役目もはたす。


五月人形・安政時代以前(1850年代)


座敷より庭をみる。


玄関内側、風とうし良いように簾が掛けてある。



 正玄関は起り破風で懸魚がついているが、脇玄関には懸魚はなく簡素なつくりである。


ニチョウ梁の豪勢な建物
 (はり、りょう)とは建物の水平短径方向に架けられ、床や屋根などの荷重を柱に伝える材のことであり、主に曲げ応力を担う。 梁はおもに鉛直荷重を伝えるが、地震などに際しては水平方向の荷重を支えることにもなる。梁にかけられた荷重は、柱・壁・大梁に伝えられる。梁の端部に柱があるものを大梁、柱に直接繋がっていないものを小梁とよぶ。


囲炉裏


上の棒を囲炉裏の上に移動し物を乾かす。


この家は生活されている。来客のため障子がしまっている。



座 敷

所 縁



 座敷は他の武家屋敷と異なり、正玄関を入って北側に設けられ、正玄関奥の中の間の北隣に座敷がある。座敷には出床方式の床の間と付け書院があり、座敷の北側と西側には土縁がめぐらされている。


水 鉢



 庭園の松やもみの木の間には石が配置され、他の武家屋敷とは違う趣であるが、整った印象を受ける。庭園内に建てられている四阿は明治以降に建てられたもの。増築部分には角館や石黒家のさまざまな史料や文献が展示されている。




土 蔵


土蔵倉



 踏俵(ふみだわら) 両足に履いて、縄を両手で吊り上げながら、交互に踏みつけて、新雪の朝の道作りをした昔の冬の道具。


そり・炭箱・等


もう一つの蔵内に展示物が並んでいる。


土蔵の厚み


♪ 蓮葉 ♪


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