角館屋敷散歩
かくのだて やしき さんぽ
河原田家
かわらだけ


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河原田家門
 会津時代から芦名家譜代の家臣で、河原田縫殿之介の時に芦名義勝とともに角館に下り、芦名氏のもとで150石を拝領して番頭と寺社奉行を兼ねた。150石の内、長男・長右衛門に100石、次男・平右衛門に50石を与えて本家と分家とし、本家は東勝楽丁の東側、分家は表町下丁東側に居を構えた。



 芦名家断絶の後は佐竹北家に仕えることとなり、本家は75石、分家は26石と石高が大幅に減少されて苦しい時代を過ごした。


玄関・右から庭園へ回る
 江戸末期に至ると本家の所在は不明になるが、分家は幕末・明治にかけ学者や県会議員を輩出して資産を増やし、1891年(明治24年)頃に住居を表町下丁から現在地の東勝楽丁へ移した。



 1900年(明治33年)の大火では、隣家・小田野家まで火がきたが、河原田家は大きな庭があったことも幸いしてかろうじて延焼を免れた。



 現在の建物は明治に建てられたものだが、薬医門は現在地に引っ越す前の屋敷のものを移築しているとのこと。



表座敷、欄間、脇玄関等は江戸時代の武家屋敷建築様式をそのまま受け継いでいる。



 見学可能な表座敷は10畳の書院造りで、座敷の西側と南側が庭に面しており、板縁と土縁が表座敷の2方をめぐっている。



床の間は出床方式といって床の間部分の畳だけ2枚重ねられて、ほかの畳部分より高くなっている。



 ふすまには落ち着いた日本画が描かれ、中の間との間の欄間には蝶の透かし彫りが見え、全体として当時の武家屋敷をよく残した質実剛健なつくりである。



 屋敷内には枝垂れ桜、樅、桂、松、銀杏などの大きな樹木が植えられ、地表を覆う苔を水流に見立てると、庭全体が山水画として楽しめるように造られている。



 米倉を改造し「武家屋敷資料館」として佐竹北家に関する歴史資料や古文書、北家伝来の生活用具や武具、女性の打ち掛けや化粧箱が展示されている。


富士と松原の襖


二階屋と土蔵


明り取り


土 蔵




板で回廊を作り隣家まで続く


♪楽に寄す♪


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