
| 小田野家住宅概要: 小田野家の本家は秋田蘭画の中心的な存在となり「解体新書」の挿絵を担当した小田野直武を輩出した家柄で、当初は佐竹氏の一族である今宮家に仕えていた。佐竹氏は関ヶ原の戦いの折、中立を保った為、秋田へ移封する事となり今宮家も随従する形で角館へ居住する事になった。 |
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| 今宮家家臣団は田町へ居を構えていた為、小田野家もそこに住んでいたが、延宝5年(1677)に佐竹北家に組替えがあり現在の東勝楽丁へ移り住んだ。その後、小田野家分家では居合いの師範や眼科治療などの功績があり、江戸初期の25石から幕末には88石に加増されている。建物は明治33年の大火以後のものですが、中級武家屋敷の形態を継承していて当時の様子を現在に伝えてくれる。 |
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保存地区の概要
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下草には笹がうっそうと植えられている。
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だいぶ芽が出てきている。
| 「秋田蘭画」で有名な小田野直武がでた小田野家は、今宮氏配下から佐竹北家の家臣となった家柄。その分家が武家屋敷に今もある小田野家。明治33年の大火で小田野家は類焼しており、現在の家屋は火災後に建てられたもの。 |
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もみじ越の離れ
| 間取りは近世武家住宅そのものだが、全体的に簡略化されている。起こり破風と懸魚が姿を消し、屋根は木羽葺き切妻造になった。玄関も一般の通用口と正式のものとを一緒に使い、玄関土間の上がりカマチで身分を区分するという中級武士の屋敷の造りとなっている。 |
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もみじの新芽
| 火災後の応急的な住宅とはいえ、明治中期という社会的背景も影響していると思われる。小田野家を特に印象づけるのは、うっそうとそびえる樹木の庭。下草には笹が一面に植え付けられている。しかも、門から玄関までの約20mはドウダンツツジのトンネルが迎えてくれる。 |
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古 木
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接木を育てている
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入 口
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土 間
| 「土間のたたき」練りあがった土の空気を抜くように上から棒で突いて、密度を増してゆく。空気の隙間が多いと固まったあと、表面が沈下して凸凹の床になってしまうから。それが済むと、鏝(こて)で平らにならしてゆきます。ここから先はベテランの左官の出番です。鏝に当たる手の感覚で、隙間が開いているかわかるそうです。時間を置いて2回ほど表面をなでて、土間の完成。 |
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いろいろな資料が無造作に置いてある。
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水 屋(板の間)
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台 所
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定 居(おかみ)
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中の間
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| 日本ではタケ類は青森から九州だがほとんどは帰化と見られる。ササ類は北海道や高山地帯にも自生す。一般的には丈の低いものが笹竹の略とされる。 |
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もみじの若葉がみずみずしい
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