
鉄道院時代の判任官通常衣装(大正時代)
|

| 鉄道院門司駅新築落成時 大正3年(1914)海側より |
|

貨車航送出場及び航送船 大正10年代(1921)
|

昭和初期駅前風景〜
|

| 「駅弁いろいろ」 昭和9年(1934) 西玉水の御壽司(定価弐拾五銭)・石蔵屋の幕の内辨當(金参拾銭) |
|
|

| 「門司駅娯楽部」 門司区清滝にあった、職員の娯楽設備である「門司駅娯楽部」の昭和16年(1941)頃のよう。 |
|
|
 昭和10年(1935)代の門司駅(現在の門司港駅正面)
|
 昭和17年(1942)関門トンネル開通時の長崎行 特急「富士」
|
 昭和17年(1942)10月28日 大阪朝日新聞 (海底を潜る急行五本)
|

| 「みなと祭」に門司丸出場・門司全市をあげて沸き立つ「みなと祭」に門司港駅も一役買って駅の噴水池が門司丸として参加。昭和27年(1952)5月。 |
|
|

| 「関門連絡船の利用客」 戦後、連絡船利用客でごった返した連絡船桟橋(門司港駅側)でのスナップ。 |
|
|

| 「荷物の山また山」(昭和28年(1953)7月) 北部九州が集中豪雨(昭和28年6月28日)に見舞われ、門司地区は山津波により関門鉄道トンネルが、浸水不通となる。九州と本州の荷物は関門連絡船による代替輸送のため門司港駅のホームは荷物の山と化した。 |
|
|

| 「お召列車の機関車(C57型) この機関車は昭和33年4月天皇・皇后両陛下が、戦後第2回目の九州ご巡幸の際、お召列車を運転した時の機関車。 |
|
|

| 「さよなら門司連絡船」 最後の連絡船がゆっくりと岸壁をはなれてゆく。昭和39年(1964)10月31日 |
|
|

九州鉄道記念館とか海峡ドラマシップとかを支柱に掲げてPRに懸命だ。
|

福北ゆたか線「直方行」
|

| 【福岡日々新聞】 大牟田では楽隊、瀬高停車場ではモチ・ミカンまきでにぎあった.・・・・汽車が北九州に入ると、右は山、左は海の眺めすばらしく春霞の中、石炭舟の白い帆が林立していた.小倉の停車場には大アーチがつくられ九軌万歳の声と花火のさくれつ音が耳をつんざくばかり・・・・. 終点門司には県知事をはじめ、関係者一同が集まり、祝賀会が行われました.馬関の奇麗どころ集まり、夜遅くまで、飲めや唄えの祝宴が行われ、夜空にはいつまでも祝いの花火が彩った. |
|
|

凄く空いていた。
| この旅は、歴史と文化が息づく山陰の小京都「津和野」を振り出しに、維新の風を感じる山陰の城下町「萩」・長府の毛利邸、日清講和記念館、回天義拳の地功山寺、最後の源平合戦が行われた「下関」・そして、大正ロマン漂うレトロ地区「門司港」を取材して参りました。 |
|
|

| いよいよ門司港駅を発って小倉駅経由で帰ってまいりました。皆様方には長いことお付き合い下さり有り難うございました。これからも更なる更新に務めたいと思っておりますのでよろしくお願い致します。 合掌 |
|
|