国指定「重要文化財」
箱木家住宅(箱木千年家)
箱木家住宅

母 屋 編

2005年6月27日 作成


 箱木家は、もと当山田庄の地侍で、応永(1394〜1429)の頃には宮座   (みやざ)の下頭屋(しもとうや)役を勤めており、この部落の中心的な家柄であった。



 家は、山田川流域の舌状台地に建ち、破格的に古い形式をもつ家として知られ、早くから千年家とよばれていた。


資料
 移築前の千年家・田には稲の切り株が残り縁側には米袋があり、家の前に小芋の葉がみえるところから秋の収穫が終わった頃の撮影と思われる。


入 口
 昭和52年(1977)まで箱木家はここに居住していた。(現在は、隣の二階建ての豪邸に住まいされている。


入 口(内側から)



 現在の建物は、呑吐(どんと)ダムの建設に伴い水没することになったため、昭和52年7月から54年3月にかけて移築工事が行われ、現在位置より約70メートル東南の高台に移された。(初めて解体調査の機会を得て、永年の待望の謎を解くことができた。


・離れからみた縁側・

 移築の際に行われた解体調査及び敷地発掘調査により、現存する日本最古の民家であることが確認された。



 「縁側の雨戸」当時は縦引きのノコギリがなかったため手斧(ちょうな)でけずった。(手斧の刃形のあとが実にすばらしい)


「昔の裕福な家には、柱に面取りがほどこされている。

 14世紀頃に建てられた「母屋」と後に建てられた「離れ」とを江戸時代末期に一つ屋根の下に納めた合成建物であったことも明らかになった。


建物 側面 向うが裏口


 玄関を入った右側に馬屋がある。当時は、馬も人も同じ屋根の下で一緒に暮らしていた。


・ 石を置いただけの当時の基礎 ・



 手斧のあとが残る馬屋の仕切り板。手前はたたきの土間。



「おもて」といわれる主座敷は、囲炉裏があるこの部屋一つで後は、小さい「納戸と台所」だけである。 


・手斧あとが映える美しい床・


家紋・「丸に隅立て四目」


「ヤリかけ」


・手前、台所 奥、納戸・



 村の有力農家でありながら、部屋数の少ないのは時代の古さをおもわせる。逆に当時の一般農家は恐ろしく小規模で、粗末であったことを物語る。


「納戸」



 大体の骨格は再現できたが、最初の材がのこされていたのは、おもての間の柱6本と、桁梁の8本にとどまるので不明な所もある。



土間に、以前使用されていた生活用具が、無造作に展示れている。




・槌と俵編み機・


・面とりした柱に永年のすすが沁み込んでいる・


かまど


・小さい明り取りがある炊事場の流し・


炊事場で使われた汚水は外の瓶に溜められ肥料として使用される

下・汚水用の瓶

裏  側


3−1


3−1母 屋 3−2離 れ 3−3資料館