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| 高桐院は細川幽斎公の長子忠興三斎公により慶長六年(1601)に建立された大徳寺塔頭の一つで大徳寺本坊西に位置する。開祖玉甫紹j和尚は幽斎の弟である。 |
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表 門
| 院内には意北軒(いほくけん)と称した利休居士の私室が移築されている。その西に露地庭があり、飛び石と植栽が山坂遠路を感じさせ二畳台目の茶室松向軒に至っている。 |
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| 表門をくぐると、初冬の紅葉と緑深い苔がむかえてくれる。 |
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高桐院の沿革
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境内参道は行の敷石、禅宗に良く見られる歩き辛い敷石である。如何に感じるか、問答の始まりとか。
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「行の敷石」
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唐 門
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古風な休憩・事務所
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本堂西の初冬の紅葉
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「意北軒(いほくけん)」千宗易(利休居士)の空間・朝鮮の農家を手本に茶室を好んで造る宗易の趣向が此処にも見られる。イカ墨壁で煤を想わせて、その壁には雨漏りの遊びや、板張りの痕を見せて、外の光も一層に味わえる様になっている。襖画 狩野永信安信(狩野探幽の弟)江戸初期。
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| 茶室「松向軒」 深紅に色づいた、どうざんツツジの向こう。 |
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| 松向軒は秀吉が聚楽第落成を記念して開いた「北野大茶会」の折に三斎公が建てた茶室で後に移築したもの |
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窓の向こうにどうざんツツジ
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| 茶室の名の由来は北野天満宮境内にある菅公影向(ようごう)の松の元に建てた事によると言う。利休居士の私室も、この松向軒も墨壁(イカ墨)が施してあり農家の煤を想わせるのか、又、壁の淵に雨漏りの跡さえ感じさす遊びが見られる。 |
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| 利休七哲の一人とうたわれた細川忠興(三斎)が、父の藤考(幽斎)の菩提所として建立したもの。松を避けて屋根を作る心使いが嬉しい。 |
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| 高桐院ではこの南庭を眺めながらお薄をいただくことができる。この南庭を眺めるとき、縁側に座って眺めるよりも少し下がって座敷の中程で眺めると一層風情を感じる。 |
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客 殿
| おお方の庭園は、建物の北側にあるがこの庭は南にある。草の庭であろう、想わせるものは真の庭に負けない。 |
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対灯篭(天下一の灯篭)
利休居士は秀吉が所望したこの灯篭を天下人に似合わぬと、自らが傷物にしてまで断ったものを、後に金毛閣の件で堺に下がる折に形見として三斎公に渡し、利を休め賢さを隠せよと名付けた思いも虚しく、天下人を相手に果ててしまった。
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炭の雨落ち
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| 四季折々の自然の風雅を生かした庭。秋、紅葉の庭を眺めながらいただく抹茶はまた格別である。 |
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