小京都 出 石  城下町

す き ょ う じ
宗 鏡 寺
「通称沢庵寺」


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撮影 2003/10/03
宗鏡寺の山門


円覚山宗鏡禅寺は、出石町の東北、入佐山の麓にあり、開山は東福寺の大道一以禅師。開基は山名氏清公で、明徳三年(1392年)創立。山名氏は代々禅法に帰依し、宗鏡寺は数ヶ寺の塔頭寺院を有し山陰唯一の伽藍を誇っていたが、織田信長の二回目の但馬征伐で羽柴秀吉のため山名家が亡び、寺もまた荒廃してしまった。



0000000000山門左側の土塀(左右対称)
縮小して焼かれた本堂の瓦が埋め込まれている。


本堂正面入口


円覚山宗鏡禅寺は、明徳三年(1392年)山名氏清により創設されましたが、山名一族の滅亡とともに荒廃の一途をたどった。その後、元和2年(1616年)に沢庵和尚が再興したことから、沢庵寺とも呼ばれ、代々出石城主の菩提寺として崇拝を受けてきた。





沢庵和尚は、剣を説き、茶を説き、上は皇室より一般大衆まで教化させた。さらに、槍術の「一旨流」「自得記流」は和尚の禅法より出て柳生但馬守、宮本武蔵の剣等はあまりにも有名。



ご本尊


本堂から見た鐘つき堂


沢庵和尚作の庭園への通路




沢庵和尚は天正元年(1573年)に出石に生まれ、徳川三代将軍、家光にも厚遇を受けたが、名声を好まない沢庵は、晩年「つながれた猿同然である」と述懐している。




沢庵作の庭園(県指定文化財)等沢庵和尚にまつわる品等が数多く残されており、一見の価値はある。



本堂側面



一衣一鉢の生活を送った草庵、投淵軒(とうえんけん)をはじめ、寺内にも沢庵作の庭園・沢庵和尚夢見の鐘・頂相画・お手植えのワビスケなど、沢庵和尚にまつわる品が多く残っている。


沢庵和尚お手植えの侘助(ワビスケ)椿


侘 助(ワビスケ)
文禄・慶長の役の際、侘助という人が持ち帰ったので、その名がついた。椿の一品種で、葉も花も小ぶり。白・紅・絞りなどの一重の花を半開。花期はやや早く、晩秋〜冬。茶花に賞用される。



沢庵和尚ゆかりの茶室 対来閣


出石城主小出英安の碑・元禄4年(1691年)12月没


出石城主仙石碑 三代政辰 安永8年(1779年)8月没


両墓寸分違わずは「前を越えずしかれど劣らず」
の意にして武家階級の固苦しきの表れなるか。


出石城主仙石碑 五代久道 天保5年(1834年)9月没


茶室より鐘つき堂へ


夢見の鐘



和尚の一生を通じて三十有余年間、一番親しまれたのは古里出石の宗鏡寺であり、境内の「投淵軒(とうえんけん)」の投淵の二文字こそ、和尚の清潔さを後世に伝えるもである。


沢庵寺

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